出典: http://eiga.com/
あらすじ
ヤングアダルト小説のゴーストライターをしているメイビス(シャーリーズ・セロン)はある日元彼のバディ(パトリック・ウィルソン)から赤子の生誕パーティへの誘いを受ける。しばらく考えた後、それをバディからの好意と受け止めた彼女はパーティへ行くことを決め、生まれ育った田舎へと車で出発する。
ポイント
痛々しく危ない”元”クイーン
メイビスは華々しい青春時代を送り、それは当時付き合っていた彼氏、バディと共にあった。しかしその時期から彼女の内面の時間はストップしてしまっている。それは彼女がとても危険な面を持つ人物であることを物語っている。更に現在37歳であるのに気持ちはティーンネイジャーのままの彼女は、久方ぶりに故郷に帰省し幸せの絶頂の元彼の家庭に来襲するだけでなく、その家庭を滅茶苦茶にしようと企んでいる。しかも彼女がその行為に及ぶ目的は報復ではなく「もう一度その彼と結ばれると信じて疑わないから」なのが更に痛々しさを倍増させてしまっている。
時が止まった理由
これは彼女の気まぐれと思い込みで全て方が付く話ではない。なぜメイビスはバディに運命を今も感じ続けているのか、どうしてそこまで固執するのかには理由が存在すると同時に、彼女の人生と彼女自身の心に大きな傷があることが物語終盤で明らかになる。
コミュニケーションの齟齬
前提としてメイビスは人の話を聞く耳を持たない(愛犬にすら同じ態度)のだが、その姿勢からも窺えるように彼女は基本的には他人を見下している。容姿や住んでいる土地といった情報で格下とわかるやいなやあからさまに上から物を言う。
これは全く笑えた話では無く、気を抜くと知らぬうちにやってしまうことである。もちろんメイビスの様に一貫して悪びれもせず他人に舐めてかかる人は少ないだろうが、例えば「善意」というオブラートに包んで上から話してしまうことはないだろうか。「あなた為を思って」などという言葉が出ると要注意で、その時点で対話ではなく一方的に与えている。なぜなら同じ目線ではなく、相手の「一歩先」「一段上」から話しているからだ。
もちろん同じ言葉遣いでも必ずしもそうなるわけではなく、相手との関係を見定め、きちんとした順序と流れさえあればコミュニケーション足り得るが、他人とのコミュニケーションは疎か自己対話もままならないメイビスの様になるのだけは気を付けたい。特に関係性の把握の難しいネット上では。
本作は『マッド・マックス 怒りのデス・ロード』とは全く違う一面を見せたシャーリーズ・セロンが演じるメイビスを観て痛々しくも笑ってしまうが、完全には突き放せない部分がありどこか憎めない。
それは彼女の中に少しかも知れないが過去の自分をみつけてしまうからではないだろうか。この映画を観て古傷がじんじんと痛む様な、そんな大人のあなたにこそお薦め出来る作品かもしれない。
作品情報
『ヤング≒アダルト』
監督:ジェイソン・ライトマン
公開:2011年(日本では2012年)
出演:シャーリーズ・セロン、パットン・オズワルド、パトリック・ウィルソンほか
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